[ライブで観た] アート・ブレイキー
30年前…夏
1990年8月、私は1人大阪ブルーノートでビールを飲みながら ”あの人” の出番を待っていた。
(大阪ブルーノートは現在のビルボードライブ大阪 )
少し遅れてようやく開演となったが出てきたのはピアニストとベーシストだ。勿論ピアノやベースも好きだ。
しかし今日だけは違う。今日はドラマーの顔を観にきたのだ。
もうお年でしっかりとドラムの演奏が出来ない事は知っていた(実は肺がんだった)。
ただ、ビバップからハード・バップそして今日までのジャズを創りあげてきたミュージシャンの1人
そのドラマーの顔を観に来たんだ。
ピアノとベースのデュオも悪くないのだが、3曲めになるとさすがに隣の客からため息が漏れた。
デュオの3曲めが終わった頃、客席の後ろがざわめいた。
御大が車椅子に乗って”運ばれて来た”…失礼な言い方だがそういう感じだ。
鳴り止まない拍手と共に
アート・ブレイキー が
運ばれてきた。
4ビートにスネア2つ刻みの手拍子の様なドラミングで1曲が終わり(相当辛そうだ)、
メンバー全員直立不動でブレイキーを見る。
客席から声が飛ぶ
「無理するなー」「もう頑張るなー」…客席で涙が落ちる
小さなかすれた声だったがはっきりと聞こえた。
「モーニン」Moanin’ 彼の代表曲で人生のラストナンバーだった
曲が終わってすぐに救急車で運ばれたらしい。その時は一命は取り留めたが2か月後、同年10月16日 71歳でこの世を去る…
私は知らなかったが肺がんだったようで、死ぬ間際までドラムを叩いていた事になる。
アート・ブレイキー最後の演奏に立ち会えた幸せを今日も思い出したりしている…
いつもと語り方が違いますね
ちょっと思い出に浸ってましたでし…
アート・ブレイキーと言えば___
「 アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」
ここの出身者をみればブレイキーの偉大さが解りますね
メッセンジャーズ出身者
アート・ブレイキーは多くの新人を発掘し、多くの著名なミュージシャンがメッセンジャーズから巣立った。50年代後半からはリー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ウェイン・ショーター等が、60年代にはフレディ・ハバード、キース・ジャレット、チャック・マンジョーネ、シダー・ウォルトン、レジー・ワークマン等がメッセンジャーズ在籍をきっかけにスターになった。80年代に流行した新伝承派と呼ばれる若手プレイヤーを中心とした、モダン・ジャズムーヴメントで活躍したプレイヤーの多くがメッセンジャーズの出身である。第一線で活躍しているウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、テレンス・ブランチャード、マルグリュー・ミラー、ジェイムス・ウィリアムス、ロニー・プラキシコ、ケニー・ギャレットなどがメッセンジャーズの出身である。長女エブリン・ブレイキー(2007年没)も、メッセンジャーズでの活動を経て、プロの歌手として成功を収めた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズ 1958年
私の好きなリー・モーガン、ボビー・ティモンズの時代
ブレイキーの凄さが解りやすい曲「チュニジアの夜 Night in Tunisia」いったい何回聞いただろう
●リンク先の動画は公式サイトのものではありませんでしたので自主的にリンクを削除させて頂きました
アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズ チュニジアの夜 Night in Tunisia
ブレイキーの代表曲にして人生のラストナンバー「モーニン Moanin’」
●リンク先の動画は公式サイトのものではありませんでしたので自主的にリンクを削除させて頂きました
アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズ モーニン Moanin’
現在ソロギターアレンジ中の「危険な関係のブルース」
ウェイン・ショーター 加入で最強に!↓↓
●リンク先の動画は公式サイトのものではありませんでしたので自主的にリンクを削除させて頂きました
Art Blakey & the Jazz Messengers Paris 1959 – “No Problem" (Duke Jordan)
ソロギターアレンジ中?…マジか!
この感じではないだろう
ハイ、デューク・ジョーダンのピアノトリオ風でし…
アレンジしました。こちら↓↓でし
★「危険な関係のブルース」ソロギターTAB
アート・ブレイキーのライブから30年経ってました。色褪せないアートのアート(芸術)にビールで乾杯?
まったねー。でも他の記事も見てねー
ちなみにここはフィンガースタイル・ソロギターのサイトなんですね
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